【農家インタビュー】富山県・濱田ファーム りっちゃん(濱田律子さん)
「欲望の赴くままに」

 


 

カナダで永住権まで獲得した濱田りっちゃんですが、
なぜか日本に帰り、お米農家に、、、。
なぜ?
それはりっちゃんの欲望に正直に生きてきた過去があるからでした。
そして、それは人気のブログにもちゃんと表れているのです。
そんな秘密にせまるインタビューなり!
(byはしもとえいじ)

 


欲望の赴くままに、、、カナダで永住権獲得!

 
私は、サラリーマンの父親とパート働きの母親と、
2歳年下の優秀な弟の家族で育ちました。
 

どんな子どもだったかかあ、、、
小学校の頃まで優等生タイプで、掃除なんかも真面目にやる子どもだったの。
勉強もすごくよくできた、いけすかない感じの優等生タイプ?(笑)。
中学高校は中高一貫の私立で、お金持ちの頭いいところの子供達に囲まれ、
一気に落ちこぼれてしまったのね。
高校は千葉の成田高校、成田山新勝寺というお寺が経営している高校。
でも自由な校風だったので、
学校はサボりまくり、ライブにも行きまくり、、、。
当時はバンドブームで原宿のホコ天が流行っていて。
でもみんな落ちこぼれたけど、ちゃんと大学に進学していくみたいな、
要領のいい子たちが集まった田舎の学校だった。
私自身は破天荒で何も考えずやりたいことをやる、
欲望の赴くままやる、というタイプの子だったのね。
みんないい大学にいくために一浪するのが当たり前だったんだけど、
私は絶対浪人をしたくなかったから、
受かった国学院大学の、本が好きだったから文学部文学科に進学しました。
短大も受かってたんだけど、短大だと2年間しか遊べないから、
親に4大に行きたいと言って、行かせてもらったんだよね。


大学は、人生で一番自由にできる貴重な時間だから、本当に遊んだな。
1年の頃はサークルに入って、夏はテニス、冬はスキー三昧。
2年からは、アルバイトをして、お金が貯まったら、海外旅行。
3年は一番まじめに勉強して教職もとった。
なんでかっていったら4年で遊びたかったから(笑)。
国語、書道の教育実習をやってたんだ。
4年は一応就職活動したんだけど、私たちの時は本当の就職氷河期で。
当時は資料請求して応募するっていうアナログな時代だったんだけど、
100件資料請求しても1通も返ってこないから説明会もいけないって感じなの。
だからすぐ就職は諦めて、その時海外に行こうと決めて、
海外にいくお金をアルバイトで貯めていたかな。


当時はワーキングホリデーでいける国が、
カナダ、オーストラリア、ニュージーランドだったんだよね。
その中で行ったことがない国がカナダだったの。
最初の二ヶ月はホームステイしながら語学学校に通ってて、
そのあとは、カナダを旅行しようと思って、
最初にカナディアンロッキーの街に行きました。
そこでは世界中から観光客が集まっていて、
日本からのお客さんもすごく多いところで、
日本人がガイドとして働いているところをみて、
私もここでガイドの仕事をしたい!と思った。
それで観光ガイドとして、
日本旅行という会社のカナダの現地法人で働きました。
1年以上いたかったから、会社からカナダに就労ビザを申請してもらい3年、
そのあとJTBに行って計10年間カナダにいたかな。
それでやっとこさ8年目で永住権を獲得したんだよね。
「これで自由になれる!」って思った(笑)。




(ハマダトモカズこと「ともまる」と愛娘の「ここちゃん」)


ってそんな時にハマダトモカズがふらふら〜っと私の目の前に現れて、
付き合うことに、、、。
でも彼は最初から「日本に帰って農家になりたい」って言ってたのね。
私もカナダの永住権をとってたので、自由になって、
カナダにいてもいいし、日本に帰ってもいいなと思っていて、
そのタイミングで日本に帰ったハマダトモカズが、
「日本に帰って来れば〜?」
なんて言うから、じゃあ帰ろうかな〜、と決断しました。
タイミングっていうか勢いっていうかね。
32歳だったし、女性としては微妙な年齢だから、
結婚出産考えたらもうこのタイミングだなと。

 

直売はビジネスじゃない、ただ単純に農家のくらしを楽しくしたかった
 


 

日本に帰って来たのは、ちょうどハマダトモカズが、2年間の研修を終えたころ。
最初は専業主婦みたいな感じで、暇を持て余していたから、
農業は実際にやったこともないし何のイメージもなかった。
なんかおもしろそうだな、やってたいなあ、
みたいな農作業体験みたいな軽いノリだよね(笑)。


ただ1年目の冬が過ぎた頃に、
農協さんじゃなくて、個人のお客さんに直接届けたいと思いはじめたのね。
お米農家って、稲刈り乾燥が終わったら、冬が本当に暇で、
当時は夫婦でインストラクターのアルバイトに行っていたくらい。
そんな暇な時期になにかできないかな、
「もっとおもしろい農業ライフにしたいな」っていう単純な思いで、
個人のお客さんに直接買ってもらえたらという思いが強くなっていった。
経営が大変だったのが理由とかじゃ全くなくて。
単純にお客さんから注文が入ったときは嬉しいし、
リピートでまた買ってもらってっていう、
「単純な嬉しさの循環」を続けたいなっていう。
それでつぎのシーズンからは宣伝をはじめて行ったの。

 

共感してもらえることで、お米の味もかわるのでは

 

(農林水産副大臣賞を受賞されるご様子!)

 
で、知ってもらわないと売れない!
ってことで始めたのが、ブログだったんだよね。
当時は私もなにもお米づくりを知らなど素人だったので、
「え、お米ってこうやって作られているんだ!
っていういくつもの細かい作業が、
日々積み重なってお米完成になっていくのが楽しかったから、
それをお客さんに知ってもらったら、たのしいんじゃないかなと思ったの。
米作りのことを書くブログをアップしたら、自分も勉強になるしね。
少しずつ少しずつマメに更新することで、
お客さんが少しずつ増えてきたって感じかなあ。
とりあえずブログをずっと更新し続けることを始めたんだよね。


最初から心がけているのは
「一般の人でもわかりやす〜いように」。
農作業の専門的なことは、友達にちょっとしたきっかけで話す時でも、
興味があるわけじゃないし分からない。
農作業だけじゃなくて、
日々の食生活や子供、家族の様子も含めて読んでもらったほうが、
より共感してもらえて、そこからお米のことをしってもらうことも多いの。
他の農家さんのお米の味がもしあまり違わなかったとしても、
考え方に共感したり、親交がある人から買ってもらうと、
味も良く感じてもらえる気がすると思うんだ。

 

乗り越えるのではなく、大変なこともたのしく



 
仕事はどれも大変だと思うのね。
ハマダトモカズは超真面目に農作業をしていて、私がやってる直売所もガチ。
でもあまりなにかを乗り越えたことはないかなあ。
つらいとかないのね。自然に勝てないことはあるけれど。
そこそこ大変だし、そこそこ大変じゃないし、、、って感じ。
しばりはある中でも、やりたいようにやれる楽しさがあって、
責任はあるけど日々たのしいよ。
あとは日本人の主食のお米を作ることができる、
根幹に関わる仕事だから嬉しいよね。
 


あえて拡大をせず、欲望の赴くままに

 


 
いまの濱田ファームのできる範囲で、いいかなって。
この状態を維持するだけでも大変だと思うから。
維持するパワーは歳を重ねるとどうしても減ってきてしまう。
規模縮小の方向になっていく中で、
無理せず、自分たちのやりたいようにやりたいなと。
これこそが濱田ファームなんじゃないかなと。
米作りだけが人生じゃなくて、
「自分たちのくらしが人生」で、それに仕事は付随するものだから。
「くらし」をいかによくするかなんだと思うのね。
ちなみに今いいなと思っているのが、南の島。
あ、ハマダトモカズも言ってた?(笑)
まあ、流されるままにふわふわといければいいかな。
いろんな妄想はあるもののその時その時で、欲望の赴くままに、ね。