【生産者インタビュー】富山県・濱田ファーム 濱田智和さん
「スキーを愛した男」


 

 


大学でスキーを覚え、カナダでもスキー三昧で、
トモカズさんの人生の半分くらいはスキーでできている!
お米農家になったきっかけもスキー。
濱田ファームさんは家族で、冬はすぐスキー行っちゃうからな、、、。
ごはんとおともはスキーなんかやったことないので、
今度教えてもらうことにしました(笑)。
それではなぜスキーからお米農家なのか!
しかも今となってはたくさんのファンがいる濱田ファームさんの代表。
そんな謎はぜひ本文で!
(by橋本)


 

ガキ大将ではなく、みんなをおもしろくおかしくさせるリーダー少年
 

おれの家族構成は3人兄弟で、妹2人。
おとうさんおかあさんと、当時はおじいちゃんおばあちゃんと。
ちっちゃい頃は結構リーダー的な存在だったんだ、当時から。当時からって(笑)。
結構体が大きかったんだ、他の子よりね。
その頃って、上級生とも一緒に遊ぶからさ、野球とか缶蹴りとか。
上級生の人がいたら、引っ張られていくけど、
自分が同学年とか下級生と遊ぶ時はリーダーだったかも。
あんまり覚えていないんだけどね、
遊びではそうだった。学校では学級委員とか、やってた(笑)
やらされたかやりたかったのか覚えてないけど、やってたよ。
高校の時もホームルーム(部)長とかやってたよ。
学級委員長みたいなやつ。
ずっと小さい頃から高校の時まで選ばれてたから、
何かがあったんやろね、おぼえてないけど。

 
いや、そんなじゃないよきっと。ガキ大将じゃないからおれ。
ガキ大将もおったよ、ケンカっぽくて野蛮な人たちは別におって。
それ系じゃなくて、わからないんだけど、
ちょっとね、、、頭が悪い方じゃなかったんよね。
中学までは勉強しなくても、
普通にやってれば大丈夫みたいな感じだったからさ。
ちょっと余裕があって、他のことでみんなでおもしろおかしくやろうかっていうことがあった気がするな。
おれが遊びに行く方だからさ、「ファミコンやらせてよ」とか(笑)。
友達の家に行ってさ。
当時娯楽がない時代で、田舎で。
一人でどこか行くとか、一人で遊ぶとかない時代だから、
みんなで遊ぶのが普通だったんよね。
その時は中心になって、どこどこ行こうよってやってたよ。

 
スポーツは小中学校は、卓球やっとったよ。卓球うまいよ、すごく(笑)。
高校はバレーボール。キャプテンやっとったよ。
運動は好きだったからね、そんなにすごい優秀じゃなかったんやけど。
あんまり不得意ではない方かも。

 

大学で人生を変えるスキーを覚える

 
高校卒業したら、新潟大学に入学した、農学部ね。
大学院まで結局いったんやけど、6年間大学におったんやけど、
まあ〜〜遊んだね。楽しかった、正直。
大学の6年間は、いままでの人生の中で一番遊んだ時かもしれん。
その前に富山県は教育県だし、時代もあって、
校内暴力とかが収まったころで、
中高までずっと先生に押さえつけられてたんよ。
竹刀もって先生が歩き回ってたからさ。


大学はさ、なにやってもいいんよね。
なにやってもあんたの自由じゃわみたいな。
そういう世界にいきなり放り出されてびっくりしたのと、
一人暮らしの開放感ですごいなっていう、いままでの生活が一変するよね。
実家に帰ったら両親がおって、、、ていう世界がさ
何時に帰って、何時寝ようが関係ないもんね。たのしかったな。
大学の時はテニスサークルとスキーのサークルに入っててさ、
そこで彼女ができるからさ。彼女ができれば楽しいじゃない。
テニスは初めてやったんやけど、やってみたらテニスやったら楽しくて、
冬は毎週スキーいってね。最高やったね。
卒業後は、大学院にすすんだんよね。
ただ単にいい就職先がなくてさ。これを学びたいとかじゃなくて。
修士論文のために研究の日々やったね。

 

英語を克服するために、29歳でカナダへ。スキー三昧の日々

 

(どれが濱田さんなんだか、、、)

 
卒業後は、東京の食品香料会社に就職した。
そこでフレーバリストっていう、香りを作る(調べる)、調香という作業をして、
レシピをつくる仕事をしとったんよね。
おもしろかったよ。他のサラリーマンの人たちとは全然違う仕事していたと思う。極端に言うと、香りってつまり味なんよ。りんごジュースでも、甘い水にりんごの香りつけてりんごジュースになるからね。
だから鼻はめちゃめちゃいいよ、おれ。
ワインの表現なんかも、普通の人よりできると思う。
どういう香りと、、、って。

 
5年間、その会社にいたんやけど、
そこからカナダにワーキングホリデーにいったんよね。
ずっと英語が苦手で克服したくてさ。
その会社で海外から香料の原料を買っていて取引が多かったんやけど、
自分だけコミュニケーションがとれず、楽しくなかった。
その時が29歳でカナダのワーキングホリデーにいけるギリギリの歳で、
1年間いってきた。
最初は英会話学校3ヶ月間、そのあと3ヶ月はファームステイに行った。
 
 
農場で働きながら、
部屋を貸してもらい食事もでるからいいなと思ったんだよね。
そのあとは、バスで西のバンクーバーから東のトロントまで。
途中タイタニック号が沈没した時に助けが出た街に行ってさ。
おもしろかったよ。
後半は、アルバイトもしながらカナディアンロッキーでスキー三昧。

 


(左から二番目、、、?)

 
ほんとうにスキーやったねえ。
朝起きて今日の雪いいかんじだな、、、スキーいくか!みたいな(笑)。

 

日本に帰ってきて、スキーをするためにお米農家に

 

 

日本に帰ってきてから、
どうやったら冬スキーをやりながら働けるだろう、
と考えたら、、、お米農家はいいなと!(笑)
富山で農業といえば米なので、希望すれば(お米農家になりたいといえば、)
お米農家になれる環境があるんよね。
おれはたまたま実家が兼業農家だったんだけど、
もう田んぼが売却されて、土地がなかったんよね。
だから自分でやる、ということにした。
はじめは、農協と黒部市役所と農林振興センターに、
お米農家をはじめたいと伝えに行った。
しかし、
「あなたの実家はいま農家じゃないだろう?
農家になるためには土地を所有していないとだめだよ。
お米農家は基本世襲制なんだから。どうせ遊びなんでしょ。
あなたの経歴だと他に職はあるでしょう?」
と言われてしまった。親切心で言ってくれていたと思う。
それでもおれは拝み倒して、
「どうしてもやりたい!とりあえず研修だけでも受けさせてくれ!」
と言って、
短期研修、長期研修と2年間をきちんと受講し、本気が伝わっていった。
でもまだ向こうは半信半疑だったな。
いつもいつも「お米農家はしんどいよ?」と言われるので、
反抗心でそれなら本当か確かめてやると、
どんどんやってやろうという気持ちになっていった。

 
そしていよいよスタートしたんやけど、
最初は施設もないし、土地もない。
(助成金)1500万円の助成事業をうけ、半額は自分で5年間で返していってね。
貸し付ける行政が経営計画を作(送)ってくれて、
それにそって作業を進めていった。
そうやって最低限の体制を整えたのが濱田ファームの始まり。

 

お米農家で大変だったことと、たのしいこと

 
そうだね、、、一番お米農家になってから一番大変だったのは、
資金(お金)のことだと思う。
社長なんだけど、最初は一銭ももらっていない。
毎年返済する(返す)ぶんや資材費を払って、本当に自分のためのお金は残らなかった。
一番しんどかったこととしてはそうやね、、、
アルバイトの人たちが手伝いきてくれるんやけど、
その人たちに渡せるお金がなかったから、
貯金を切り崩して渡していた。
 

逆にたのしいところは、
スキーができること!(笑)ってまあそれも大きいんやけど、
あとはアウトドアで仕事ができることと、時間が自由に使えることかな。
おれ、小学校とか中学校の時、時間通りに、
同じ場所に行かないといけないっていうのが、かなり窮屈だったんよね。
サラリーマンの時も、「明日仕事か、、、」って、
前日からテンションが下がることが、いまは全くない。それがいい。
朝4時におきても全く苦じゃないからね、いまは。
 

農業の師匠は、、、いないんよね。
もちろん、ちょこっとずつ誰かに教えてもらうことはあっても、
この師匠のやり方、考え方に完璧にのっとってというのはないなあ。

 

結婚して、いまの濱田ファームのスタイルに

 


 
結婚して変わったことはね、たくさんあるよ。
仕事は、本当に楽になったと思う。
農作業として楽になったわけではないけど、
経営としては楽になった、随分(に)ね。
いままでは、農協からマニュアルをもらって、それにそってやっていたが、
農業素人の律子に基本的なことを聞かれる度に、
それはなぜだろう、検証してみよう!と自発的に取り組んだり、
実はこれいらないな、と作業が効率化していった。
濱田ファームのいまの栽培方法になったのは、律子のおかげやね。
 



(律子さんが毎日SNSにアップする濱田食堂)

 

お米の味は曖昧だからこそ、特徴をわざわざ言わない
 


 

濱田ファームのお米の特徴はね、お客さんの感じ方にお任せしてます。
お米の味ってすごく曖昧だから。
食味コンテスト金賞とか、お米のクオリティを数値化する食味値とかで表すのは、
うちのスタイルじゃない。
確かに、買う側にとって参考になるし親切かもしれないけど、
やっぱり、お客さんによって味の感じ方は違うし、
この人から買ったということで喜びを感じて欲しいよね。
過去にうちもある部門で(金)賞をとったことあるけど、
きかれなければ言わないかな。うちの米は賞もらった(金賞受賞)って。
なんか、カッコ悪い、、、んだよね。(笑)
食味値95って言われて機械に判断されてもなっていう、、、。
まあね、、、特徴は言ってあげる(いう)と親切かもね。
「うちのコシヒカリは冷めてもおいしいです」とかね。
あんまり「粘り気は強くて、、、」みたいな(っていう)言い方はしたことないかも。
濱田ファームはだから発信も律子がしとるしね。
 


「知らずにエイヤ!」がうまくいくコツ
 

新規就農者へのアドバイスか、、、
何もしらない方がうまくいくと思う(笑)。
これはおれの体験からやけど。
知らないからできたんだよ、米農家なんて。
さっきもおれが、そんなに儲からないかどうかって、
確かめてやろうって米農家始めたって言ったやん。
それも同じで知らないからだよね。
作業は本当に大変だし、機械は高いし、
こんなにお米を売るのが大変で、
商品単価は安いということを、
始めるまえに知っていたらやってないわ(笑)。
おれ、たぶんイチゴ農家やってるわ(笑)。
イチゴおいしいし、単価高いし(笑)。


「知らずにエイヤ!」やね、コツは。
なんでもそう。やってから後悔したほうがいいんじゃない。
そしたら、想像もしていなかった、協力者や追い風がさ、ついてくるからさ。
自分もそういうことが思いかえせば、たくさん、ある。
どうしても農家になりたい!っていう情熱があれば、そういうことが絶対、ある。
周りを巻き込んで運を味方につけることができる、と思うから。
だから、例えば知り合いのがんも農場の二人なんかはそれを実現しているよね。
うちらも見てて本当に応援したくなるしね。

 
今後は、拡大はせず、自由度がたかく楽しい農業を

 
この春で方向性が固まったかな。
規模拡大はしない、無理して事業を増やさない。
濱田ファームの大きいビジョンとして言えばそういうことかな。
常時雇用をしない事に決めたのは、
律子と二人でやる方が自由度が高く、楽しいからだよね。
楽しんでやらないと続けられないからね。
今まで誰かを雇おうって考えていたのは、
歳とったら、今までどおりのこともできなくなるからな〜ってさ、
毎年毎年二人でそこを話し合っていたんだよね。
で、楽しく続けるために、二人でやろうってことに決めたら、そしたら規模拡大の話もなくなって。
加工して6次産業っていうのもやらない方向だし、
まあ、、、これは展望じゃなくて夢なんだけど、南の島に移住したいんよね。
その夢のためにこれから頑張るっていうね。
 




 
あのあれなんや、、、農業だけに絞ると、
とたんに視野が狭くなると思ってるんよね。
農業だけじゃね、楽しくないんよ。
長期休暇を取って海外に行ったりしやすいのは農家ならでは。
そうして、いろんなことを知って、
人やものに出会った方が、人生ぜったい楽しくなる。
(しかもそうじゃないとお米なんて売れないと思うからさ。)
いつも冗談半分なんやけど、いつか本当に移住し(っ)てるかもね。
濱田ファームが、ハワイに行ってお米作って(にいくっていう話があったからね。
ハワイでお米)売るっていう話も一時期あったからね。
おもしろいよね、、、どこまで本気かわからんことを周りに言っといて、
実際に実現したら「ほら言っとったやろ?」って言いたい(笑)。
コーヒー入れる人になりたい、カフェオーナーになりたいな、とか。
うん、、、ばかばかしいけど、おもしろいことをやりたいよね。
「濱田ファームカフェ」、みたいにね。
おもしろいことを口にだして言っといて、
それがそのうち現実になればいいなって思ってる。